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岩手県生産者交流会ツアー 浄土ヶ浜の賢治の碑 [宮沢賢治]

4月11日
宮古漁港をあとにして、次の訪問先まで少し時間があるので
浄土ヶ浜 →★ に立ち寄りました。 
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  ・・・私にとっては5年ぶりとなりました。5年前の様子→★

 5年前の写真
浄土が浜.jpg

 今回
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自然の風景は震災前と一つも変わっていません。
自然の持つ悠久の時間の大きさよ。

けれども震災時は津波で周辺の歩道や建物などの人工物の被害は大きく、
また漂流物で一変した海岸は、市民や地元の学生などボランティアの方が
時間をかけて清掃作業を行ったと聞きました。

白い石は補充したそうで、以前よりちょっと灰色で、ごつごつしています。
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これらの石もだんだん丸く白くなって浄土ヶ浜になっていくのですね。

ふりかえると、駐車場には看板が連なっています。
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津波時の避難誘導の看板でした。
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そして賢治の碑と再会。
  うるはしの 海のビロード 昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ
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今回 芝生はなくて(まだ寒いからかも)、砂利の中に建っていました。
  浜垣さんのHP『宮澤賢治詩の世界』で2年前の様子を拝見していたので
   http://www.ihatov.cc/blog/archives/2012/05/3_22.htm
  (リンクさせてくださいね) 
  気になっていたのですが、副碑は元に戻っていました。
   ・・・どのように見つかったのか、いつ戻ったのかなども知りたかったのですが
     朝8時にはレストハウスも開店前で地元の方とお会いできず、わからずじまい。
     どなたかわかる方がいらっしゃったら教えてください。

8.jpg
  向きが少々変わったのは気のせい???


5年前はこんな風でした。
浄土が浜で賢治さんのことばと出会う.jpg

大正6(1917)年7月25日から29日まで花巻町有志による
東海岸実業視察団に、父の代わりに参加した21歳の賢治は、
釜石から大槌~山田を経て、宮古に泊まり、浄土ヶ浜を訪ねます。
賢治は、この浄土ヶ浜で、その日の夜の船で花巻に帰る一行から離れて
遠野まで徒歩で帰ったそうです。その距離40キロ。

碑に刻まれているのは、この旅の帰路、友人・保阪嘉内にあてた葉書に
書かれている六首の短歌のうちの一首です。

記念撮影をして出発の時間となりました。
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さて、浄土ヶ浜の賢治の碑で「昆布」と出会った私たち、
偶然ながら!? 次の訪問先は、宮古にある昆布の加工業者です。
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・・・つづく・・・



 


コメント(4) 
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コメント 4

makimaki

訪問しました
by makimaki (2014-04-26 00:12) 

ゆきねこ

makimakiさま ご訪問ありがとうございます!
by ゆきねこ (2014-04-26 09:30) 

まるたろう

浄土ヶ浜、以前と変わらない景色のようですが、ところどころには
津波の爪痕は残っている感じですね。
by まるたろう (2014-04-26 16:13) 

ゆきねこ

まるたろうさま ありがとうございます
浜辺の石にしても、浜辺全体ですから
まさに爪痕でした。
この風景に戻るまで本当に沢山の方のご苦労があったのだと思います。

by ゆきねこ (2014-04-27 19:11) 

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